2024/2

いま見ていたドラマで、「でも私はずっとあなたが選ぶ方にいる。すぐ近くに」という台詞があって、よいなあと思った。宝物を推していた期間、私は「好きも嫌いも、私が握りたい」をスローガンにオタクをしていたので、「嫌い」という感情もたくさんあった。私の目線や歓声や、そして紛れもない言葉が、確かに彼を励まして、確かに彼を傷つけた。その自覚だけはある。そんな経験からか、小南くんについては「すき」だけあげたいな、となんとなく考えている。

2月は慢性的に体調が悪かった。気圧のせいか、ずっと頭がぼやぼや痛かった気がする。後半には胃腸炎を拗らせ、4キロ痩せた。

そして2月は金欠だった。カレイベの支払いがあったので、、、推しの舞台は当たり前に見たい場所で見たい数だけ見たいけど、私はそもそも「エンタメ」がすきだし、小南くんを褒めるためにももっといろんなものが見たいなあと思う。そういう意味では、接触イベントに注ぎ込んで、他のエンタメをシャットアウトした2月はいまいちだったと言わざるを得ない。

小南くんにハマって、新たに自分の解像度が上がっている気がして気分がいい。自分がどんなものがすきで、どんなものが嫌いなのか。結局私のメインコンテンツは生涯私なので、小南くんを応援することを通して、自分語りをするのがすきだと改めて思う。

 

  • 雑感

靖子ちゃんのパワハラ(果たしてパワハラという軽い言葉で良いのだろうか、まあパワハラという言葉も軽い言葉ではないのだろうが、何故か私は年齢の割にカタカナ語だと漢字の熟語よりも軽いと感じてしまう)が話題となっていた。靖子ちゃんについても、zocについても、あまり詳しくないため、話題の全容は掴めていない。それでも靖子ちゃんの作る歌がすきで、私の人生の傍に確かにある。特にまろまろ浄土は自分のテーマソングだったので、かなり辛い。

靖子ちゃんの歌に支えられて生きてきた人生があるので、わからないながらにただただ悲しいなー、と思う。これを見たらもしかしたら靖子ちゃんは喜んでしまうのかもしれないけれど、結局、まともな人には作れない音楽だった、そしてだからこそ、まともじゃない人に伝わった、んだよな(当然私は自分のことをあまりまともじゃないと思っています)。

きっと今後も、若くてかわいい女へのジェラを歌っていくのだろうから、もう1人になった方が良いと思う。

とにかく、自分のすきなものが自分のあまりすきじゃないタイプの人に作られたものであるということは、悔しく、悲しいことだ。とはいえ、音楽は良いので、私はまた聞くだろう。

GIRL'S GIRL

GIRL'S GIRL

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誰かに選ばれたいわけじゃない 

私が私を選びたい

私は私が認めた私を

認めさせたい何が悪い

この歌は私の人生。「私」が過剰に出てくるこの歌詞で、私は私を守りたい。

 

2/4

原作読んでたし気になっていたので、マラソンしてる友人Hに連れられて見に行った。

杉元がヤマケンと発表された当初、「ヤマケンかあ〜、、、」と思っていたのだが、とても裏切られた。私の中のヤマケンって少女漫画の実写化イケメンのイメージしかなかったので。

雪の表現が好みだった。雪って、人間に厳しいけれど、静かでどこかあたたかい。雪国の人間はどこか諦めが早い。なぜなら人間の力でどうしようもない雪という存在と、日々を共にしているから。雪国で暮らしていた経験を、良い経験として持っているので、懐かしくなった。

どのキャストも良かったけれど、杏奈ちゃんが特に良かった。原作のアシリパさんはもっと年下かな?と思っていたけれど、実写化にはぴったりだった。本当に子役を使ってしまったら、安易に守る杉元と守られるアシリパさん、の構図になってしまっていただろうな。あの二人、保護者と被保護者の関係ではなく、ましてや恋愛関係でもなく、二人だけの関係性があってすきなので。

杉元の、親友すらも死んだ戦中で、死ぬことのできないことへの嘲笑を感じる「俺は不死身の杉元だ」が、アシリパさんとの約束を守るため、それを忘れないという気持ちの表れとしての「俺は不死身の杉元だ」に変わっていくところがほんとーーーにすき。彼にとっての不死身の意味が、変わっていくところが。

友人Hは、「杉元がアイヌの文化とかを尊重するところがすきだ」と言っていたが、私はここについて意見が違っていて、杉元は尊重しようとして尊重しているというよりは、そもそもの我々(あえて言うならば差別をする側)が持つ、差別の前提となるような「偏見(あるいは知識?)」がそもそもないのだと思う。人間ができているから、アイヌを尊重している、というよりは、人間ができていないから、すべてを受け入れる、なのではないかと。多くの人が同様に持つ偏見や知識がなければ、まず差別など生まれない。

ともあれ豪華な実写化で、原作のファンだったらこんなにうれしい実写化もないよなあ、と思った。

 

  • 舞台「地獄楽-終の章」

2/16ソワレ、2/17ソワレ、2/18マチネ、2/18東京楽

年末から小南くんが殺陣の練習をしているという話を聞いてとてもたのしみにしていた。本人の配信で、じごステたのしみ🎵と送ったコメントをたまたま拾ってくれて、「がんばります🎵」と返してくれたのもうれしくて、早く見たいなー!になっていた。

舞台プレパレイション

舞台プレパレイション

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始まります 舞台プレパレイション

私の最高を魅せたい

始まります 舞台プレパレイション

彼女の最高を魅せたい

1番は演者側、2番は裏方側で歌われるこの歌のワクワク感がぴったりで、この期間よく聞いていた。特に2番の「思う存分暴れてね、私たち信じていいよ」は小南くんに向けた気持ちだ。

なにより、こんなにワクワクできたのがたのしくて、うれしかった。

原作もしっかり読んだ。おもしろかったなー、シリアスとギャグの塩梅が絶妙で、どこか藤本タツキ先生を彷彿とさせるなー、と思っていたら、アシスタントをされていたらしく納得した。読んでいるだけでも感じたセリフの美しさが、人間の声として聞くと際立っていてよかった。特に画眉丸の「出会った頃からもっとこう、素直になればよかったと」は綺麗な7575節に、BGMや演出が合わさって、ずっと頭の中に残っている。

私はエヴァンゲリオンで育ったオタクなので、似たようなものを感じた。てゆーか、かなりエヴァだよね?すべてを犠牲にしても、愛する人を蘇らせたいという気持ち、あまりにわかるので、私は蓮がだいすき。終盤、りおなちゃん演じる蓮が、徐福に駆け寄るシーンがほんとうにだいすきだった。一瞬、表情が恋する少女に戻るところが、ほんとうに。

人間が、神に対して武器とするものが「弱さ」であるところもとてもすきで、最後画眉丸が、蓮を殺さないところも、私はだいすきで、よくわかると思っていたし、常に柔軟でありたいと思っている私は付知くんの考えにかなり近い。そのため、正直に言うと小南くんの演じる殊現については、あまりよくわからないな、と思ったまま読了した。

舞台の美しさはお見事だった。初観劇の16日は、展開の速さと、殊現の出番の少なさ(これは私が過度に期待していたというのが大きい)に、ややついていけず、うーーーん、となっていたが。あの神仙郷の薄気味悪い美しさが、すばらしく再現されているなと思った。前方センブロに入った時は、どうしても通路で行われるシーンが見づらくてちょっとうーーーん、ではあったが、通路最前で見られたときはとてもよかった。画眉丸の殺陣は思っていたよりも間近で見るとさらに速く、滴る汗からつばさくんの熱量を感じた。

小南くんが舞台上にいないときの虚無感を感じたとはいえ、どのキャラも魅力的で、目が足りない舞台だった。特に、亜左兄弟がだいすきなので、三つ編みのシーンから、再会のシーンは胸が熱くなった。さなひろきさん、ほんとうにかわいい顔をしてらっしゃいますね、、、腰を低くした構えと、体躯に合わない大剣を振るう姿が最高。オタクはみんなすきじゃんか、、、になった。どこでも貪欲に、しなやかに軽やかに、強く生きていく人間がすきだ。16日アフトで、るいくんが「最後の弔兵衛が壺を投げるシーンで、回転がかかっているため取りづらい」と言っていたのにはまあまあウケた。

杠ちゃんもかわいくって、終始めろめろだった。むちむちでおっぱいが、すごい(これ、セーフですか?)。

原作から付知くんの考えにとても共感していたので、なのが演じる付知くんがぴったりで嬉しかった。厳鉄斎と「お前もなー!」と声を揃えるシーンや、「この知識は持ち帰らねば!世の医術がひっくり返る!」と興奮するシーン、目がランランと輝いていて、忘れられない。殊現に殺された際の「ずっと見てきた」のシーンが特にすきで、毎公演泣いた。通路でやるシーンも、厳鉄斎となにかもちゃもちゃ話していてかわいかった(持ちチケが下手かセンブロしかなかったので何を話しているかわからず残念)。唯一の癒しとも言えるアドリブシーンはほんとうにかわいくて、ずっと見ていたかった。カッケーカッケーカッケージャン🎵ハマり役だったなあ、、、

ハマり役といえば、がーくん演じる十禾だろう。ハイカから、なぜか今年すでに一番顔を見ている俳優だ。今回もドラマティカの帽子屋を思い出させる演技で、余裕のあるお調子者を演じさせたら右に出る俳優はいないのでは、、、と思った。お調子者なのに、あのドスの聞いた声にはそこ知れぬ怖さを感じるのですごい。ラストの階段から飛ぶシーンでは、毎度怪我をしないかひやひやしていたが、小南くんが「彼は芸歴長いから安心して」と言っていてオモロかった。

バトルシーンを読むのが苦手なので、原作ではあたり心に残っていなかったシジャVS画眉丸戦は、舞台で見たからこそのおもしろさがあった。シジャが画眉丸の動きと完璧にシンクロするところが、気持ち良い。「ではではでは?殺し合うしかないと!」「違う、お前が死ぬだけだ」のところすき。

小南くんはいつも役にまっすぐ向き合ってくれるところがすきだ。今回の殊現という役も、原作人気が高く、いわゆる「カリスマ」役で、期待も大きかったと思う。楽しみでワクワクしながら劇場に向かって、席について、君を待っていた。毎公演当たり前みたいにかっこいい殊現が、舞台の真ん中に現れて「我々にも上陸の命が下された!」ではじまるシーンがほんとうにだいすきだ。役に込められた期待や、小南くん自身に託された期待に、真っ向から応えてくれるところが、だいすきだなあと思った。ゲネプロ記事で「カリスマ性感じる一振りで、佐切も憧れる試一刀流二位の実力に説得力を持たせたのは、山田浅ェ衛門殊現を演じた新キャストの小南光司だ。」と書かれていて、胸がときめいた。そのとおりで。きっと普段の小南くんから遠い、つよつよ©️な殊現を演じるには、たくさんの努力があったんだろうな。それでも演じ切ってくれる君から、いつも元気や勇気がもらえます。

舞台でどうやって演じるのかな、と思っていた浅ェ衛門の剣は、なるほど、というかんじで見応えがあった。自分の中でのサンプル数が少ないので、なんとも言えないが、小南くんの殺陣は綺麗だと思う。指先まで、揃えて剣を握るところに、隅々まで行き渡る意識を感じた。基本どこの席でも顔が見たくって、私は双眼鏡を構えてしまうのだけれど、綺麗な全体の身のこなしと、表情などの細かい部分とどちらを見ていいのやら、で困ってしまった。

自身も言っていた、左手1本での殺陣について、初観劇では気付かないくらい自然で驚いた。小南くんが昔骨折したときの名残で、両利きなことは、配信で聞いて知っていた。私は、本業に、そうでないところでの経験が生きてくることがすきなので、今回の左手での殺陣もなんだかよいな〜、と思っていた(あまりにもニュアンス)。なんというか、本業に、本業を志す前からの人生が絡んでくるのがすきなんだ。すべてに意味があったと思えるから。宝物が、あのころ嫌がっていたトンチキソングを歌わされていた経験のおかげで、今でも難しい曲を難なく歌いこなせることとか。

話が逸れたが、ある公演の日、隣に座っていた原作ファンと思しき人が「殊現、右手でも左手で殺陣してなかった?!」と興奮気味に話していて、誇らしかった。ふふん、小南くんって器用なの。

セリフの話をすると、「付知くん、」と呼びかけるときの声が、あまりにやさしくて、小南くんだなあ、と思った。同時に、他のセリフとのギャップが怖くもあった。あとは「無頼者の貴様に何がわかる」の強い声とかもよかった。「処刑人の剣が、実践的でないと言ったな、罪人。」の「言ったなあ、」とか、「いいや、これは決意だ。」の「いいー、や、」とか、感情が昂ると溜めがちにセリフを言うのがすっごくすきだった。なんか、強キャラっぽくって!!!

私は殊現のことを、佐切と道を違えて、一人で死んだかわいそうな人、と思っていたのだけれど、舞台を通して、殊現は一人で死んだんじゃなくて、浅ェ衛門のみんながそばにいてくれたんだよな、と思えてよかった。また小南くんを通して、作品への理解が深まった気がしてうれしい。

 

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じごステが始まる前、インスタの使い方にちょっともやもやしたところがあった。勝手に私は、「在宅よりも現場に行く方が偉い」という信念のもとでオタクをしているので、在宅に何も考えずにいいねをする小南くんにブチギレていたりした。いま冷静になれば、マジで愚かすぎる、、、んだけど、家にいる人間より、現場にいる人間に感謝をすべきじゃん?という感情は変わらない。

私は結果として、大阪公演には行っていないので、行けよ、という感じなんだけど、東京楽で小南くんが私の感想を見てくれたのはうれしかった。インスタでイライラさせられて、インスタで機嫌がなおっているの、ほんとうに令和のオタクというかんじである。平成のスタダオタクだったくせに、しっかりしろよほんとうに。そんな2月。